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神明様のよもやま話〜宮司のコラム〜

【第二回】 宮神輿のこと

 コラムの第二回では、神明さまの氏子の誇りである、宮神輿のことをお話します。
 当社の宮神輿は、昭和九年、行徳の神輿師・後藤直光の作による、台座四尺四方の千貫神輿です。何と言ってもその特徴は、漆塗りの段葺き屋根の美しさ。一目で後藤作とわかる段葺き屋根の神輿は都内でも珍しく、その中でも最大の神輿です。
 この宮神輿については、亡くなった先代宮司の内野淑から、不思議な話を聞いていますので、真偽のほどはともかく、一つのエピソードとして、この機会にお話ししたいと思います。昭和九年に、新調した宮神輿を夏の祭礼で初めてお披露目したときには、行徳から漁師衆がやって来て、揃いの白装束で神輿を担ぎました。行徳衆の神輿の担ぎ方は、それは見事で、息の合ったものだったそうです。そして、先代宮司の話では、行徳衆は森下の交差点で宮神輿を投げ上げ、神輿が宙に浮いた間にポンと拍手(かしわで)を一つ打ったと言うのです。
 当社の宮神輿は、それはそれは大きな神輿ですから、それを投げ上げ、しかも拍手を打った、というのは、にわかには信じがたい話です。しかし、我が家の夕食の食卓で、晩酌をして上機嫌になった先代宮司から、私は確かに何度もこの話を聞きました。もちろんビデオの映像など無い時代の話ですので、今となっては真偽を確かめる術もありませんが、一つの都市伝説?として、語り継いでいきたいと思っています。
 神輿の担ぎ方については、町の古老からこんな話を聞いたこともあります。今日では、深川の神輿というと、わっしょい、わっしょい、の掛け声とともに、ずんずんと前へ前へと進んでいくのが正当な担ぎ方とされています。そのときに、屋根の鳳凰を、しゃんしゃんと音を立てて揺らすのが、担ぎ上手というわけです。
 ところが、戦前は、担ぎ手がちょうど「おしくらまんじゅう」の様に、四方を向いて(つまり神輿に背を向けて)担ぎ棒に取り付き、あっちへフラフラ、こっちへフラフラしながら担いだというのです。そして、お祭りの寄付をケチった家に、それ行けとばかり神輿を突っ込んで、軒を壊す悪さをしたそうです。今では考えられない話ですね。
 今ではもちろん、神輿の巡幸は、警察署の許可を得た上でルールを守って行います。神明さまの祭礼は、おかげさまで毎回、大きなトラブルや事故も無く、警察の方からも「品位のあるよいお祭りだ」との評価をいただいています。この点につきましては、氏子の皆様のご協力に感謝申し上げるとともに、今後とも益々のご協力をお願い申し上げます。

 

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祭りの記憶
十二の御輿絵